地元長崎佐世保。大阪堺に5年住んで色々なことを書き殴っておこう。

コロナ(流行2019年?)が流行する2年前、2017年に僕は地元である長崎県佐世保市から大阪府堺市に移り住んだ。住む場所に選んだのは今のところほぼ一緒で、石津川駅の裏手にあるアパートだった。

そんな僕が堺市に住むことで感じたこと、思ったことを書いていこうと思う。

まず堺に住んで思ったことは、住宅街しかないわりに移動手段が限られてくることだ。僕がスナップ撮影、街中で撮影することが多いので、交通機関の利用は積極的にしている。大阪梅田や難波の場合、回転率で乗り遅れても次の乗り遅れればいいというのはある。

張り巡らされた線路と駅、交通機関でどこへ行くのにも疲れずに済む。地下直結でヨドバシカメラ梅田やマルイ、阪神や阪急の百貨店に名古屋や神戸方面へ行ける近鉄に乗り込むことさえ出来る、交通の要衝となっていることが分かる。

堺の場合、南北に伸びたJRや南海電鉄で一応和歌山で行くことが出来るが、双方とも価格競争しないで済むぐらいの田舎を抱え込んでしまっている。和歌山は栄えてきたが、その間の街は住宅街がほとんど。ピザの配達さえされない地域もあるというのが驚きである。

観光客は関西空港から降りて、和歌山か難波方面へと向かってしまう。難波から和歌山まで間の沿線民はどこへ向かうのか。堺駅あたりであれば難波へ向かった方が早いし、用がない限り難波に行かずとも、商業施設はたくさんある。アウトレットモールやイオンモールなど。車が必須ともいえる地域までくれば車利用を考えて行動する。

観光客向けの施策は大事だが、実は安定的に大事なのは地元民からの理解と利用なのだ。商業施設を建てた場合地域の商店街から反対が起きることは多々ある。商業施設内に商店街の人たちに商売して頂くという方法もあるし、コミュニケーションの場づくりも行い地元利用者数も多くしたり、商業施設利用者の事ばかりを考えて地元の商店街などを無視してきたところは多きいのではないか。

観光、地元、施設がどう組み合わさっていくかによって、商業施設の生き残りにかかっている。

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