うつ病になって、死を間近に感じたときに自ら死ぬ人の気持ちはどうなんだろうと考えた。

5月GW明けに実家の犬が病気で死んでしまった。GW帰れば良かったと後悔した。そんな僕は夜な夜な考えたことを記事にしておこうと思う。

うつ病になって死にたいという気持ちになった。ベランダが近くにあるので飛び降りたい、駅のホームに飛び込みたい、このまま息を止めて死にたい。そんな自殺願望。僕がお世話になっている友達の兄が自殺した話を聞いたことを思い出した。

なぜ、死を選んだのか。相談してくれなかったのか。昨日まで元気だった人がいきなり命を絶つのか。うつ病になって分かったことは、逃れたい。考えたくないという脳が拒絶したときに100%回避する選択肢と自殺という方法が浮かんだのではないかと。

苦しく死んだとしても、今の苦しみよりは楽で、死んでしまえば今の苦しみ全てを感じなくなってしまう。自殺を選んだことを僕は否定できない。否定してはいけないのだ。死を選ぶとは簡単に本人以外が口に出していけない話。なぜかといえば、苦しんでいる理由、死を選ぶだけの理由というのは本人しか分からない。他人と比較することが出来ない本人の人生。

中学生が自殺して悲しいとニュースになるけど、年間何万人の人が自殺しているのかを考えれば、比べる行為ほどおかしいものはない。大事なのは自殺以外の選択肢を与えることができなかったこと、自殺するという選択肢を選んだことに気づかなかったこと。

自殺をしてはいけない行為というけど、人の心とはそれだけ脆いものだという証拠であり、身近にいる人間が理解できないほどに複雑であること。

僕はうつ病になって、偶然にもお世話になっている友達が、そういう境遇にあって苦しい思いをしたことがあって、支えてくれて周りの人に助けられて、たくさんの方に助けられて生き残った。

多分、一人暮らしで悩んで苦しんで、形だけの友達だけと過ごしていたら今頃、ベランダから飛び降りていたかもしれない。その可能性は十分にある。たった小さな奇跡が偶然が関係が、誰かの命を救っている。小さな声が命を救う。

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